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私は大正九年生まれです。大正十五年の中ごろサントス丸の二度目の航海で渡伯しました。大阪市の幼稚園を終えて四月小学校に入学、ひと月もたたぬ間に止めさせられてブラジルへ来ることになりました。両親と四人の姉たち、一家七人の家族でした。
神戸でいろいろな検査、そして大勢の人達に見送られて船に乗り込みました。
小さかった私は何もわからないまま若い人たちとよく遊びました。あの当時若かった方たちのこと、八十二年経った今でも時々思い出してなつかしくなります。いつも黒いはかまの大統領(あだ名)、それから山の内さん、山本さん、土原さん、杉崎さん、五世さん、私がおぼえているのはその人達だけです。中でも山本さんは一番若く十九歳だったそうです。土原さんは何年か後に日本へ帰られました。この方たちは単独移民なので一部屋に居られました。そして時々日曜学校をして賛美歌をうたっていました。今、私の知っている賛美歌はその時におぼえたものです。山の内さんは船中をあちこち私を連れて歩いてくれました。何年か後アマゾン方面に行かれ、そしてベレンでお店をやって居られると聞きました。でも何年か前に亡くなられました。山本さんはバイオリンがお上手でした。杉崎さんは私達の居る植民地(バレーロ植民地ビラッキから九キロ)をたずねて来られそこで日語の先生を六、七年されました。山本さんもバレーロの近くで日語の先生をなさいました。バイオリンを弾いて生徒たちに教えておられる所を一度だけ見たのをおぼえています。今、私は時々当時のことを思い出してはなつかしくなります。
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Este projeto tem a parceria da Associação para a Comemoração do Centenário da Imigração Japonesa no Brasil