Conte sua história › Yashiju sha › Minha história
一九三四年十月十八日、移民を乗せたサントス丸は神戸港の埠頭をしずかに離れた。いよいよ日本とお別れだ、いつ帰れるか分からない。当時十歳の私はそれほど悲しいとは思わなかった。
翌日、船は太平洋を駛っていた。父が桜島が見えてきた、と指さすので前方を見ると、うっすらと見える。やがて山容が大きくなり、頂より煙が昇っている。日本の見納めだよく見ておけ、と父に言われ急に悲しくなって涙がボロボロと出た。私は涙の出る目で桜島が見えなくなるまで甲板に立ちつくしていた。
サントス丸は世界三大美港の香港、シンガポールを過ぎ、インド洋に出た。赤道祭は素晴らしかった。遠縁になる清子さんが女王様に扮して出てきたときは嬉しかった。一位は桃太郎、二位は象だった。赤道を越えて何日か経ってからであった。私は夜中にふと目がさめた。何だか変だ、船が動いていない、波の音も聞こえない。故障で止まっているのだと思い、好奇心の強い私はベッドを抜け出して甲板に上った。明るい、昼のように明るく月が天心に輝いている。私は右舷に行って海を見た瞬間、あっと叫んだ。月の光で見える限り鏡だ。この世のものとは思えない碧さで月の光で輝いているのだ。不思議だ、海にこのような世界があるのだろうか、船はなぜ止まっているのだろう。私は夢を見ているのだろうか、いや夢ではない、いま、舷に来たばかりなのだから。私ははっと気がつき、船べりから覗いて下を見た。すると吃水線にわずかに小波が立ち、船は辷るように駛っている。そのとき突然、こらっ坊主、そんな所にいるとあぶない、早く戻れ、と夜警に怒鳴られ、私はあわてて甲板を下りた。
翌朝、この事をみんなに話すと、海に詳しい小父さんが、そのような夜には絶対に甲板に出てはならない。海の美しさに魅せられて無意識に飛び込み、お陀仏になるのだと言われた。私は夜警に怒鳴られたお蔭で海の藻屑とならずに済み、いまこの稿を書いている。
コロンボ港を出てからであった。太笛の音で夜、目がさめた。遠くでまた太笛が鳴る。間をおいてサントス丸が太笛を鳴らすので、私はベッドを抜け出して甲板に上った。霧だ、一メートル先も見えないほどの海霧だ。また、太笛が鳴り出すので私は左舷に行った。しばらくすると霧の中に船の明りが見えて来て船影がおぼろに通り過ぎた。衝突を避けるための太笛だったことが分かり、私は安心して甲板を下りた。
船がケープタウンを出航してからである。これからアフリカの南端を通るので海が荒れると言う。果せるかな海は荒れ出した。船酔いの人らで室内はてんやわんやである。スクリューの音がガラガラ聞こえる。時化だ、船体はいまにも壊れるのでは、と思うほど不気味に軋み始める。私は海の荒れるさまが見たくて甲板に上った。凄い、高波が次から次へと押し寄せて来る。合羽を着た水夫らが忙しく動いている。怒り狂った海は七千三百トンのサントス丸をひと呑みにせんと荒れ狂っている。船首が下がると高波の穂がザーと甲板に落ちるのだ。私はよろめく足を踏ん張って見ている。その時、こらっ坊主早く下へ降りろ、と怒鳴られ、私は急いで甲板を下りた。
今、船は大西洋を駛っている。これから十数日、陸は見えないと云う。私は舷に寄り、海月や飛び魚の飛ぶのを見て独り楽しんだ。夢と希望を乗せたサントス丸は憧れの国ブラジルのリオデジャネイロの港に着く日も間近い。
As opiniões emitidas nesta página são de responsabilidade do participante e não refletem necessariamente a opinião da Editora Abril
Este projeto tem a parceria da Associação para a Comemoração do Centenário da Imigração Japonesa no Brasil